家事との向き合い方①:なぜ家事がテーマになる?

暮らし整え期

こんにちは、ユルリです。 「暮らし整え期」、家で過ごす時間が増えると、自然と「家事」や「お手伝い」というものが気になってきませんか?

今回はシリーズの導入として、私が実家暮らしの中でなぜ家事と向き合うことになったのか、そして家事を通じてどんなことを目指していたのかについて、まずはお話ししたいと思います。

「暮らし整え期」に家事がテーマになる理由(私の場合)

「暮らし整え期」に、なぜ家事やお手伝いが私にとって大切なテーマになったのか。

正直に言うと、体調が悪い日もあったので、家族から「これをやりなさい!」と強く言われたわけではありませんでした。でも、なんとなく始めてみた家事の中に、思った以上にたくさんの発見と、前に進むためのヒントが隠れていたんです。

例えば、毎食後の食器洗い。これをやるだけでも、一日の生活に区切りがついて、なんとなく過ごしがちな時間にメリハリが生まれました。掃除や洗濯も、ただ部屋や服がきれいになるだけでなく、「ああ、さっぱりした!」という気持ちよさや、「今日はこれをやり遂げたぞ」という小さな満足感、達成感を与えてくれました。

それに、不思議と計画性も身につくんです。「今日は洗濯をして、明日はあそこの掃除を…」なんて考えているうちに、自然と先のことを考える習慣がついてきたり。ゴミ捨ての日を意識すれば、曜日の感覚だってしっかり保てます。

思考のパターンにも変化がありました。それまでは自分のことばかり考えがちだったのが、「家族も使う場所だからきれいにしよう」とか、「この料理、家族は好きかな?」とか、自然と「自分と家族」という視点が持てるようになった気がします。

こんな風に、家事を通じて得られたのは、生活リズムの改善や気分の向上だけではありません。計画性やコミュニケーション能力、そして「生活力」そのものを高めるきっかけになったと感じています。そして、この「生活力」が少しずつ身についてくると、「もしかしたら一人暮らしもできるかも?」とか、「これから先、どうやって生活していこう?」といった、将来への視界が、ほんの少しですが明るく開けてくるような、そんな感覚がありました。

目指すは「いてくれて助かる人」? 心地よい距離感とは

だから、私が「暮らし整え期」に目指したのは、そういう「やってやったぞ!」オーラを出すのとは、ちょっと違うあり方だったんです。

周りを見渡してみると、いませんか? たまに何かを手伝うと、やたら大きな声でアピールしたり、人が気持ちよく話しているのを遮ってまで「いや、それは私がこの前やったから!」みたいに手柄を強調したりする人…。正直に言うと、私、ああいう場面に出くわすと、心が「無」になるというか、ちょっと(いや、かなり?)イラっとしてしまうんです(笑)。

だからこそ、自分が目指したいのは「恩着せがましくない、さりげない貢献」。これ一択でした。

(具体的なエピソードは「皿洗い編」で詳しくお話ししますね!)

こんな風に、アピールするどころか、むしろ少し存在感を消すくらいのスタンスでいること。それが、私にとっては家族との「心地よい距離感」を保つ秘訣であり、何より自分自身が嫌な気持ちにならずに過ごすための、ささやかな工夫だったのかもしれません。

今回は、私が「暮らし整え期」に家事と向き合うようになった理由と、目指していたスタンスについてお話ししました。 次回は、家事をする上での具体的な「心構え」について掘り下げていきます!

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